はじめに

私には小学校一年生の息子がいて、例に漏れず彼もポケモンが大好きだ。
今は夏休みの真っ最中だが、宿題は初日に終わらせてしまったため、暇になった息子が「ポケモンのゲームをやりたい」と言ってきた。

夏休みだけの娯楽のために最新のニンテンドースイッチとソフトを買うのはもったいない。
そこで私は、持て余していた古いパソコンにゲームボーイアドバンスのエミュレーターを入れ、昔の『ポケモンファイアレッド』を遊ばせることにした。

親の「効率的」プレイスタイル

私も初代のポケモンゲームをプレイした経験があり、効率的な進め方を覚えている。

  • 序盤は炎タイプが貴重だから、御三家はヒトカゲを選ぶ
  • 序盤で3段階進化するポケモンを捕まえ、図鑑を埋めつつ育成する
  • ジムバトルは相手の弱点タイプで攻める
  • 伝説のポケモンと出会う前には必ずセーブして、リトライで確実に捕まえる

…など、常に数手先まで考えながら最短ルートでゲームを進めるタイプだ。

息子の自由奔放なプレイ

しかし、いざ息子にプレイさせてみると、私の予想は見事に裏切られた。

まず、息子は「かわいいから」という理由で、御三家の中からゼニガメを選んだ。
(序盤に水タイプの野生ポケモンが多いのに…)

旅立っているにも関わらず、ゲームを中断するたびにマサラタウンの自宅に戻り、自分の部屋でセーブするという謎のこだわり。
(そこだけ妙に現実的で、「この子、おうちが大好きなんだな〜」と微笑ましく思えた)

まだ小学校一年生ということもあり、文字を完璧に読んで理解するのは難しい。
そのせいかゲーム中のメッセージをかなり飛ばしてしまい、あっちこっちを迷って彷徨う。

絶望的な技の選択ミスと、モンスターボール乱投事件

最初にもらったモンスターボールを体力満タンの野生ポケモンに投げまくって全て使い果たし、手持ちポケモンはゼニガメのみ。
さらに致命的だったのは、ゼニガメがレベルアップで覚えた「みずでっぽう」の代わりに、よりによって「たいあたり」を忘れさせ上書きしてしまったこと。

野生の草タイプポケモンはそこそこ出るのに、こちらは水タイプの技しかないという絶体絶命の状況を自ら作り出してしまう、まさに破天荒なプレイ。

親の葛藤と干渉への誘惑

私の目線から見れば、息子のプレイは無茶苦茶で、自分だったら絶対に最初からやり直す。

むしろ、こっそり私がプレイし直して、ゼニガメをレベル上げして「たいあたり」を残し、ポッポ・キャタピー・ピカチュウあたりを捕まえて渡してあげようかとさえ思った。

そのほうが、息子は無駄に苦労せずに進めるし、それが親の務めだとすら考えた。

息子の逆襲

しかしそんな私の思いをよそに、息子は嬉々としてプレイを続け、危機的状況から見事に脱出した。

  • バトルで得たお金でモンスターボールを大量購入
  • 運良くコクーン、コラッタ、キャタピーを体力満タン状態でゲット
  • 「体力を削ってからボールを投げる」ことを本能的に学習し、マンキーを捕獲
  • ポケモンの並び替えを覚え、他のポケモンの育成にも着手

ついには手持ちが5匹に増え、プレイを続けられる体制にまで回復した。

息子からの気付き

息子の適応力と学習力の素晴しいプレイに感心したのはもちろんのこと、どんな状況でもゲームオーバーにならないようにきめ細かい配慮や救済設計した任天堂にも感謝したい。

この一件を通して、私は親としていかに傲慢だったかを思い知らされた。

社会人になってからの私は、常に「有意義であるか」を判断基準にし過ぎていた気がする。
自己研鑽して成長することを意識している(実際には全然できていないが)。 娯楽ですら成長につながるかどうかでフィルタをかけていた。いわゆる効率厨である。

仕事や学習でも、役に立つスキルだけを得て、キャリアアップに直結することしかやりたくない。
英語学習を兼ねて、視聴するのは海外ドラマや洋画。小説をやめて実用書を読む。技術も「市場価値が高いか」で選び、ニッチなプログラミング言語やマイナーなフレームワークには手を出さない。

さすがに「コールドシャワー」「瞑想」「日記」みたいな薄っぺらい男磨きまではやっていないが、それっぽい意識高い系行動をとっているのは確かだ。

そんな生き方は、確かに短期的に効率的にスキルアップできるし、成長できる(というか、成長せざるを得ない)、世間的には充実しているように見えるかもしれない。
でも、私の場合は好奇心の余白がどんどん削れていって、心はすっかり枯渇していた。
頭の中は常に情報であふれ、処理しきれず、ワクワクする余裕がほとんどなくなっていたのだ。

一方で、息子は違う。
今この瞬間に必要だから、お金を惜しまずモンスターボールを買う。
今この瞬間に欲しいから、野生ポケモンを捕まえる。
そして、捕まえたポケモンが弱くても被ってても喜び、私に嬉しそうに報告してくる。

彼の顔はいつも笑顔にあふれ、目はキラキラしている。
不器用なプレイでも、挫折しても、決してネガティブにならず楽しんでいる。
(そのうち戦略的にプレイするようになるだろうけど)

結論:親は干渉よりも見守りを

親心でつい、自分の経験を子どもに伝え、財産として継承させ苦労を減らしてあげたくなる。

しかし今回、息子は私が考える「正解」とは全く違う方法でピンチを乗り切り、プレイする楽しさを自分で見つけた。
彼は「効率的に進む」ことを目的にしないからこそ、純粋にゲームそのものを楽しめた。

親が子どもに与えられる最良のものは、完璧な攻略方法ではない。 むしろ、それは子どもにとって「ありがた迷惑」かもしれない。

石器時代の祖先のアドバイスが現代に通用しないのと同じで、親の知恵もその世代限定のものであり、必ずしも子どもに有効とは限らない。
(読解力、統計・確率、英語などの不変の知識は別としても、そう簡単に伝授できるものではない)

だからこそ、親は干渉せず、ありのままに子どもをプレイさせてみてはどうだろう。
子どもは親が思っている以上に強くて賢い。
きっと彼らは経験から学び、自分で成長していく。

「好き」という本能のまま、「今この瞬間」を生きている子どもを、親の手で殺してはならない。

私は息子が非効率的に弱いポケモンを捕まえ、それを誇らしげに見せてくる笑顔を楽しんでいこうと思う。